ビジネスと数学の関係

経営者・有識者インタビュー

~経済・社会における数学~

第11回 数学でエレガントなビジネスを
     中村 天江 氏
     (株式会社リクルート ワークス研究所 研究員)

 

 

 

 

 

 社会でどのように役に立っているかわかりにくいと言われる「数学」。このコーナーでは、さまざまな分野の第一線でご活躍中の方々に、社会と数学のかかわりについて語っていただきます。第11回は大学・大学院で数学を専攻し、リクルート ワークス研究所で労働市場の研究者としてさまざまな分野で活躍中である、株式会社リクルート ワークス研究所研究員の中村天江氏にお話を伺いました。

理系の人が輝ける世の中を目指す / 数学は異世界にアクセスする手段 / 「エレガント」という感覚と仕事の現場 / 数学ができる人材のアドバンテージ

 

理系の人が輝ける世の中を目指す

―― 大学・大学院と数学を専攻されたそうですが、何がきっかけとなって数学の道へ進もう思ったのですか?

 

 大学では数学科へ進もうと決めたのは中学3年の時です。当時、仲の良かった友達が、「私は社会の本に囲まれて暮らしたい」と言ったので、「じゃあ私は数学の本に囲まれて暮らすことにするわ」と。これがきっかけだったのですが、数学の魅力にはまって大学院まで進学してしまいました。

 大学院の修士課程では純粋数学の一分野である「トポロジー(位相幾何学)」を専攻していました。どんなことを研究していたのかというと、例えば「『口』という文字と『日』という文字の違いを証明しなさい。」みたいな問題を考えていました。この問題は点と線の数を数えて、それらをたしたりひいたりした時の合計が異なることをもって証明します。ある図形が一筆書きで描けるかどうかを考えることと、分野としては同じです。研究で一番楽しかったのは考えた図形に名前をつける時でした。微分がうまくいかないある特異点は「ツバメの尾」と名付けられているのですが、「それならば特異点がたくさんあるこの図形の名前は何にしようか。サボテンがいいかな?それともハリセンボン?」ということを先生と話しあうのです。

 数学を専攻していたというと、計算ばかりやっているとイメージする人が少なくありませんが、実際はもっと抽象度が高いです。図形として「同じ」とはどういうことであり、「違う」とはどういうことであるかを定義して、「同じ」と「違う」を測定したりします。それを表現する方法としてオイラー数やホモロジー群、ホモトピー群とよばれるものを使います。

 

 

―― 大学院で学んだ数学と労働市場の研究者という今の仕事は直接つながっていないようにもみえますが…。そんなことはないのでしょうか?

 

 そうかもしれません。純粋数学の研究が自分に向いているのかどうかを考えた時、「基礎研究は私には向いていないな…」と自覚したのが大学院の時でした。「数学をいかして、保険数理の専門家であるアクチュアリーや金融機関の商品開発部門など、数学をいかせる道へ就職してお金の計算をしていくのも辛いなぁ…」と思い始めたのもその頃です。

 数学を専攻して良かったことは、いきいきと働く数学者の方々に出会えたことです。数学は実験施設などが必要ないのでお金がかからず、自分の頭脳だけで勝負できる研究分野。数学が本当に大好きな数学者が研究に没頭している姿はとても魅力的でした。それが数学の世界観の構築につながっていくのだなと。例えば、加藤和也先生という素数論が専門の先生は、講義で日本のお伽話とからめて素数の話をします。「お伽話の世界と素数の世界は共通している」ということをおっしゃっていて、いつもとても楽しそうに授業を行っていました。

 理系の分野は世間的には堅苦しいイメージをもたれがちですが、理系にも楽しそうに仕事をしていて、キラキラと輝いている人がたくさんいることを知ることができたのは、私が数学科で得た1つの価値だと思っています。就職にあたっては、数学そのものをいかせる仕事ではなく、数学者のように充実して働くことができる人が増える仕事につこうと思い、リクルートに入社しました。

 

 

数学は異世界にアクセスする手段

―― 現在はリクルート ワークス研究所に勤めていらっしゃいますが、具体的にはどのようなお仕事をなさっているのですか?

 

 労働市場が専門の研究者という立場で仕事をしています。「労働市場における人材ビジネス」をテーマにしていて、人材ビジネスは仕事を探す個人や人材を採用したい企業にどのような価値を発揮できるのかとか、どんな課題があるのかということや、派遣法などの法規制によって労働環境にどのような影響があるのかなどを広く調査します。調査によって得られたデータを分析して論文を書いたり、講演を行ったり、政策提言書をまとめたりすることが、今の主な仕事です。この「経営者・有識者インタビュー」の第1回で登場された玄田先生や、第9回で登場された高橋俊介先生は労働分野の大家なので、私たちの研究所もたいへんお世話になっています。

 ワークス研究所に来る前は10年間、リクルートの求人事業で、新しいサービスを立ち上げたり事業を設計したりと、いわゆる「企画」の仕事をしていました。

 

 

―― 企画と研究所では、仕事の内容が相当異なりそうですね。それぞれのお仕事と数学にはどのようなかかわりがありますか?

 

 研究所で仕事をするうえでは、数学を学んできたことは非常にアドバンテージがあると感じています。例えば、ある程度研究が進んだので論文にまとめましょうとなった時に、数学と関連する2つの能力が役に立ちます。

 1つは計量的に処理する能力です。経済や経営の分野には純粋な文系の人が多いので、計量的な手法に拒否反応を示す人もいます。わたしは数学をやっていたおかげで、知らない手法だとしても取組むことができます。もう1つは論文を組み立てる力です。論文は中学校で書かされるような作文とは要求される厳密性が全然違います。自分が考えているテーマを何度も逡巡してひっくり返して、「ここはおかしい」とか「この内容をもっと深めないと…」と考え続ける必要があります。そのような思考実験を繰り返す力は大学院時代に鍛えられたものです。

 

 

―― 「トポロジー」のような抽象度が高い分野の研究をやっていたことが、実社会の研究を進める上でも役に立つのですね。

 

 今はインターネットなどを通じて、さまざまなデータへ簡単にアクセスできる世の中になっているので、「覚えること」の価値はどんどん低下しています。「考えること」が求められるこれからの時代において、「考える力を鍛えるための数学」の価値は間違いなく高まるのではないでしょうか。

 それに何よりも、数学は語学と同じで、異世界へアクセスするためのツールです。自分が全く知らない分野に挑戦する時に、「確かに知らないことはたくさんある。それでもどうにかなるよ。」という感じで、新しいことをやれそうな感覚を持って異世界に臨むことができるのも、数学という思考のベースを持っているからだと思います。

 

「エレガント」という感覚と仕事の現場

―― 研究所に来る前は10年、リクルートで企画の仕事をしていたとのこと。企画職と数学に接点はありましたか?

 

 新規事業の企画を通すためにはプレゼンテーションが重要です。過不足なく内容を伝えるために何が必要で何が必要ないのかを考えたり、説得力のある企画書を作るためにストーリーラインを考えたりすることと、数学の問題で長い証明をつじつまをあわせながら展開したり、的確なタイミングで検算をして軌道修正をしたりすることは、どちらも「論理的思考力」が要求されるという共通点があります。「論理的思考力」を身につけようと思って数学を学んでいたわけではありませんが、数学のさまざまな問題を考えることで、知らず知らずのうちに訓練されていたのだと思います。論理的思考力は使いこなせてこそ価値があるので、このことは仕事をする上で数学をやっていて良かった思うことの1つです。

 それ以外でも、事業企画を立てることと数学の証明問題を解くことは、本当によく似ています。どこが一番重要なのかを見つけることが問題を解く鍵となることも同じだし、鍵となる部分がきちんと解けなければゴールにたどり着けないことも同じ。解き方は1つでなく、いろいろな方法があることも同じですね。

 また、数学の解答ではガリガリと強引に計算して解いたものはロジックが正しくても好まれず、解答過程の美しさが求められます。数学の世界では「エレガント」と表現されますが、単なる正解より一段上の美しさがないとダメだという感覚は、ビジネスの現場でも、さまざまな関係者の理解や協力を得なければならないからこそ、非常に大切だと思います。

 

―― 数学のロジカルな部分とエレガントな部分を両方あわせ持つことが、ビジネスの現場においていかされるのですね。

 

 企画系の仕事では特にアドバンテージになりますね。企画の仕事は面白い人が活躍すると思われがちですが、実際はデータを正しくさばく能力や確率計算できることも重要です。リクルートでも企画の仕事で活躍している理系出身者は少なくありません。

 ただ、実際のビジネスの現場はものすごく泥臭いので、エレガントなどと言っていられない場合も多いし、理屈だけですべてをわりきれるものでもありません。ビジネスを円滑にまわすためには対人能力も鍛える必要があります。ものごとを俯瞰して、「今はどうするべきか」を感情的にならずに処理できるのも理系の強み。わたしは、理想(エレガントな解)はこうだが、現実をロジカルにみると別の状況がみえるとよく考えていました。例えば、「こうすれば最短コースで効率的にいけるけど、現実にはここのポイントで障害が発生しそうだから手を打つ必要がある」とか、「このメンバーの今後の成長を考えると、トライアルアンドエラーがあってもあえて経験をつませたほうが良い」とか。大学院や研究所での数学は1人で考えて1人で論文を書いて完結できますが、会社で仕事をするとなると、やはりチームワークが重要です。チームの中でうまく立ち回り、他のメンバーをうまく動かすスキルがないと、せっかく持っている数学力を十分に生かしきれないことも、仕事を通じて強く実感しました。

 

数学ができる人材のアドバンテージ

―― 数学ができる人材はそうでない人材と比べて何が大きく違いますか?

 

 3 つあると思います。1つはいわゆる「論理的思考力」がベースとしてしっかりしていることです。論理的思考はビジネスのあらゆる場面で要求されるので、これが自然にできるということはビジネスパーソンとして活躍する上で大きな強みとなります。しかも、ただロジカルなだけでなく、あるべきエレガントさもわかりつつ、現実と向き合うことができます。

 2つめはデータを的確に処理する力です。今は社会におけるあらゆる活動がデータ化されているので、データの重要性が増しています。企画や政策を通す時もデータが無いと通らない時代です。大量のデータをうまく処理する力とか、処理されたデータの良し悪しを判断できる力は数学によって培われるものの1つであるし、この力を持っていると発展的なキャリアにつながりやすくなります。

 3つめは、ものごとを抽象化して本質を見抜く力です。社会ではいろいろなことが起こりますが、それぞれの事象から法則や共通点を見つけて1つの数式にまとめて表現する能力を持っていることは、ビジネスの場面で大きな力を発揮します。瑣末な事象にとらわれずに根本のしくみを見抜いて説明する能力は、これからの世の中では必要な能力として高く評価されると思います。

 

―― 今日はありがとうございました。

 

プロフィール
中村 天江(なかむら あきえ)
 株式会社リクルート ワークス研究所 研究員
東京大学大学院で位相幾何学を専攻後、株式会社リクルートに入社し人材ビジネスに携わる。その後、リクルート ワークス研究所で労働市場の研究者として活躍中。

 

リクルート ワークス研究所
http://www.works-i.com/