経営者・有識者インタビュー

第5回

日本の将来を左右する数学的基礎

デビッド・H・サターホワイト 氏
(フルブライト・ジャパン(日米教育委員会)事務局長)

社会でどのように役に立っているかわかりにくいと言われる「数学」。このコーナーでは、さまざまな分野の第一線でご活躍中の方々に、社会と数学のかかわりについて語っていただきます。第5回は、日本からアメリカへの留学生を送るプログラムを59年にわたって運営している日米教育委員会(フルブライト・ジャパン)の、デビッド・H・サターホワイト事務局長にお話を伺いました。

日米教育委員会(フルブライト・ジャパン)の活動

まず初めに、日米教育委員会(フルブライト・ジャパン)の活動理念と、具体的な活動について教えてください。

サターホワイトさん:
日米教育委員会(フルブライト・ジャパン)は、1952年に留学を希望する学生の支援活動を開始し、現在までに約6300人をフルブライト奨学生としてアメリカに送りました。利根川進先生(抗体の多様性に関する遺伝的原理の解明で1987年にノーベル生理学・医学賞を受賞)、小柴昌俊先生(ニュートリノの研究で2002年にノーベル物理学賞を受賞)、下村脩先生(GFPの発見で2008年にノーベル化学賞を受賞)、根岸英一先生(クロスカップリング反応で2010年にノーベル化学賞を受賞)は、フルブライト奨学生出身者(フルブライターといいます)の代表です。そのほかにも、科学技術の分野で優秀な業績を上げた研究者の方、政治家や最高裁判所の判事になられた方、大企業の第一線で活躍されている方などを多く輩出しています。

米教育委員会が設立された当時の日本は、海外に行くことすら難しい時代でしたので、留学するためには大学・大学院の学費の援助、留学先での生活費の援助などのサポートが必要でした。このような時代において、日米教育委員会はアメリカの「フルブライトプログラム」に基づいてフルブライト奨学生を募集し、奨学生の財政的な支援を行うとともに、日米の相互理解に貢献できるリーダーを育成することを目的に活動を開始しました。私たちは、このプログラムが単純な奨学生の支援だけではなく、人的交流を通じて日米の友好を深めるのに役立っていることを、誇りに思いながら活動しています。

フルブライト奨学生の応募者には大学生や大学院生だけでなく社会人の方もいます。選考は研究計画、学問的な業績などの項目を用いて行いますが、新しいチャレンジを優先するため、過去数年間に採用された研究計画と同様の研究計画では採用は難しくなります。また、「日米交流の活性化」という理念があるので、アメリカへの留学経験がない方のほうが採用される可能性が高くなります。

フルブライターにはさまざまな分野で世界的な活躍をされている方が多くいらっしゃいますが、フルブライターには高い能力が備わっている必要がありますか?

サターホワイトさん:
フルブライターには輝かしい業績を残された方が数多くいますので、「フルブライト奨学生は超エリート」というイメージを持たれがちですが、フルブライト奨学生に応募するためのハードルはみなさんが思っているほど高くありません。前回の選考では、「教育に関する研究をアメリカで行い、その成果を日本に持ち帰って実現したい」という希望を持った高校の先生も選ばれていますので、特別な能力を持った人でなければフルブライト奨学生に採用されないということはありません。

私たちはアメリカを理解して日米関係を深めたいと思っている方にフルブライターになっていただきたいと思っています。ただ、アメリカの信奉者になってほしいと考えているわけでもありません。アメリカを深く知れば、アメリカの良くないところもたくさん見えてきます。良くないところは批判されるべきです。私の個人的な知り合いでもあった平和活動家の小田実さんは、ベトナム戦争の時にアメリカを痛烈に批判していましたが、彼もフルブライターでした。フルブライターの中に小田実さんのようなアメリカに批判的だった方がいたことも非常に誇りに思います。

日本の留学事情

日本からの留学生の数はどのように変化をしているのでしょうか?

サターホワイトさん:
日本人留学生の数は非常に減っています。アメリカへの留学生は13年前には47,000人を超えていましたが、現在は24,000人程度です。これに対して中国人留学生は約13万人、インド人留学生は約9万人もいて、その数も毎年増え続けているので、日本人の留学生の存在感はかなり薄くなっています。

日本人留学生の減少につながった原因は複数あります。1つめは就職活動の時期の変化です。大学生の就職活動は、90年代前半までは就職協定によって大学4年生の夏から始まっていたので、大学1・2年生のときに基礎を学び、大学3年生のときに留学して海外経験を積むというプランを組むことができました。しかし、90年代後半から就職協定の効力がだんだん弱まり、就職活動が大学3年生の秋からに前倒しされてしまったため、大学3年生のときに留学すると就職に不利になる状況が生じてしまったのです。2つめは就職活動における留学経験の評価の低下です。かつては留学経験のある学生を十分に評価する体制があったのですが、最近では「留学経験のある学生は自己主張が強くて扱いにくい」といった理由で、採用を敬遠する傾向が見られます。 このほかにもいくつかの原因が考えられますが、それらの原因が重なり合うことで日本からの留学生が減少していると考えられます。中国やインドでは留学から帰ってきた人材を活用し、企業の競争力、国の競争力の向上に役立てるシステムが作られているので、日本の留学生の減少は、日本の競争力を低下させる要因になるのではないかと危惧しています。

サターホワイトさんは政治学がご専門ですが、研究の中で数学的な考え方を使ったことはありますか?

サターホワイトさん:
私は東アジアの比較政治や国際政治を研究テーマに選んだので、それほど数学を使いませんでした。政治学にはさまざまなアプローチ方法があるので、必ず数学が必要という場面はあまりないのです。しかし、比較政治や国際政治であっても、研究が進むと経済学的な内容にも目を向けなければならなくなるので、そのような場面では数学を十分に活用しました

また、政治学では統計データを非常に多く扱います。統計データを正しく読み取るためには、データの背景にまで目を向けることが重要です。たとえば、マスコミで「内閣の支持率が30%に低下しました」とか、「アンケートの結果、○○に60%が賛成していることがわかりました」といった数字が紹介されますが、この数字の背景には「内閣の支持率を調査した対象は誰なのか」とか、「誰を対象にどのような手法でアンケートを採ったのか」があり、調査対象や手法の違いによって、出てくる数字は大きく変化するのが普通です。つまり、数字の背景に対する理解がなければ、誤った解釈をしてしまうことがあるのです。グラフを使ったデータでも、軸の数値を変えたり、グラフが大きく変化している部分だけを抜き出して見せることで、変化を大袈裟に表現することが可能です。調査対象の偏りや大袈裟な表現を見抜いてデータを正しく読み取るためには、数学的な基礎が必要不可欠なのです。だから、政治学には数学がまったく必要ないということはありません。

日本の将来を左右する数学力

サターホワイトさんは日本に長く住んでおられますが、サターホワイトさんから見て日本の強さが失われていると感じることはありますか?

サターホワイトさん:
日本は戦後の焼け跡から短期間で復興し、科学技術の分野で世界中から尊敬されるようになりました。なぜ、急速な復興が可能だったのかを考えると、数学教育の体制がきちんと整っており、国民にある程度の数学的基礎力をつけさせることができていたからだと思います。数学力は科学力や技術力の根本にある力だからです。ただ、最近はゆとり教育などの影響で、以前と比べて数学の学習時間が減っていることから、数学教育の基盤が弱まっていると言われています。もちろん、ゆとり教育には良い要素もたくさんあると思いますが、日本を支えてきた数学的な基礎力の弱まりは、日本の国力の弱まりにつながるのではないかと心配しています。

また、日本人のハングリー精神が衰えていることも感じています。かつては「先進国に追いつき追い越せ」と、強いハングリー精神を持って競争をしていましたが、80年代後半以降に豊かな生活を獲得できたため、「まあ、競争せずに仲良くのんびりやろうよ」という気持ちになっているように思われます。豊かな生活によってハングリー精神が低下することは普通のことだとは思いますが、中国や韓国が熾烈な競争によって力を伸ばしていることを考えると、今の豊かな生活をこのまま続けることは難しくなるのではないでしょうか。国際的な競争がますます激しくなるこれからの時代に、「海外に目を向ける必要はない」という内向きの発想では、世界の進歩から取り残されてしまいます。「競争せずに仲良くやろうよ」という発想では、今の日本の地位は、急速に進歩している中国、台湾、韓国などに奪われてしまいます。日本はもっと自信を持って、もっと勇気を出して、国際社会でリーダーシップを発揮できるようになってほしいと思います。

最後に日米教育委員会(フルブライト・ジャパン)の事務局長としてメッセージをお願いします。

サターホワイトさん:
グローバル化する社会に対応できる人格をつくり、日本のすばらしさを伝えることができる人材をつくるには、「海外留学にチャレンジして学んで来い!」という体制をつくることが非常に大事です。日本は鎖国をしていた時代が250年間もありました。鎖国の時代が長かったため、その時代の影響は大きく、根が深いものになっています。鎖国の時代には浮世絵、歌舞伎、能など日本の独自の文化が深まるという良いこともありましたが、世界はもう鎖国を許す時代ではありません。だからこそ、日本文化のすばらしさを世界にアピールし、グローバル化する世界でリーダーシップを示すことができる日本をつくってほしいと思います。

今日はありがとうございました。

プロフィール

David H Satterwhite (デビッド・H・サターホワイト)

日米教育委員会(フルブライトジャパン) 事務局長。

テンプル大学日本校理事、JAFSA(国際教育交流協議会)理事、 東北大学大学院情報科学研究科の運営協議会員を歴任。
幼少期に宣教師の両親とともに来日し、日本在住40年。

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