経営者・有識者インタビュー

第15回

弁護士に数学的思考力が必要な理由とは?

佐藤 明夫 氏
(佐藤総合法律事務所 代表)

社会でどのように役に立っているかわかりにくいと言われる「数学」。このコーナーではさまざまな分野の第一線でご活躍中の方々に、社会と数学のかかわりについて語っていただきます。第15回は、医学部を卒業した後に弁護士の世界に入り、大手法律事務所を経て佐藤総合法律事務所を設立し、企業再編・企業買収、金融・証券、コンプライアンス、一般企業法務・コンサルティング、倒産など幅広い分野において業務を行っている佐藤明夫弁護士にお話をうかがいました。

数学と法律のロジックの違いとは?

佐藤さんは医学部を卒業して研究の道に進まれた後、司法試験に合格し弁護士になるというユニークなご経歴をお持ちです。なぜそのような選択をされたのでしょうか。

佐藤さん:
実は、そもそもなぜ理系に進学したのかもよく覚えていません。どのような形であれ、誰でも成長期には親の影響を大きく受けます。私の父は、当時検察官で、私が高校生の頃は司法研修所の教官をしており、同時に、司法試験委員(司法試験の問題を作ったり、採点をする仕事)をしていました。叔父も検察官でしたので、普通の子供よりはるかに司法試験の情報が周囲にあったのではないかと思います。競争率が40倍、50倍とか、司法試験浪人を続けて人生を棒に振ることになってしまった人の話とか。そういう話を聞いていると、文系を選択するのであればおそらく法学部に入り、さらに、それほど積極的な理由がなくとも、結局司法試験を受けるようになるのだろうけれど、その選択は、一歩間違うと人生を棒に振るリスクがあって、それは嫌だなと、うっすらと思っていたような気がします。

当時、私は10人並みに遊んでいた普通の高校生で、別になりたいものが具体的にあったわけではなかったと記憶しています。授業態度も悪かったので勉強はできなかったのですが、なぜか物理の先生には期待感を持っていただいており、ある時「お前、これやってみろ。」と言って物理の難しい参考書を渡されました。優秀な学生は周りにたくさんいたのですが、渡されたのは私だけでした。その本をやり始めてみたら大変面白く、他の科目はひどかったのですが、物理だけは学校で一番になりました。結局浪人をするのですが、浪人して勉強するようになったところ、数学もできるようになりました。その結果、その頃は、どちらかというと文系科目より理系科目のほうが得意にもなり、好きでもあったので、理系に進学したことに違和感はないのですが、正直に言うと積極的な意味合いがあって医学部に進んだ感覚はありません。

その後、大学を卒業し、研究者になるべき立場になったのですが、そもそもあまり積極的な考えを持って進んだ道ではありませんでしたので、あまり面白くなかったのではないかと思います。医者にも強い関心もなく、社会に出ようと思うと、あの当時は、新卒で就職しないと就職は難しかったので、資格でも、という話になり、父や叔父という法曹の世界の人間が周りにいるものですから、何となく、この世界に入ったということです。

強烈に医師や弁護士を目指していたわけではなかったのですね。

佐藤さん:
そういう者も多数いたとは思いますが、当時の学生は平均的な姿は、そんなところだったのではないでしょうか。理学部で理論物理を学んだけれど就職先は金融機関(しかも、営業職)という人もけっこういました。私も理系科目が得意ではありましたが、それはしょせん大学受験レベルの話であって、「医学を究めるために」という思いで夜も寝ずに勉強したようなことはありません。だから、あえて言えば、「何で医学部」という問いに対する積極的な答えがないので、目指している人に対して失礼でもあるので、あまりその議論はしたくないし、同様に、学歴とは所詮そんなものだと思っているところもありますので、他人の学歴にも特に興味はありません。実際、受験勉強が得意でいい学校に入ったことと、社会的な能力やスキルとの関連性はあまりないというのが私の結論です。むしろ社会に出てからどれだけ自分の頭を使い、あるいは自分を鍛えたかという部分が大事ではないかと思っています。ただし、自然科学、とくに数学に関してはスポーツや音楽に近いものがあって、小さな頃から真剣にやっていないと厳しいものがあるような気がしています。

数学はロジカルの極みですが、法律の条文も非常にロジカルに書かれていると思います。両者に関連性はあるのでしょうか。

佐藤さん:
私の学歴を聞いてか、色々な人に、よく「法律はロジカルだから理系の出身者に向いている。」と言われます。しかしどちらの世界も多少は見てきた私からすれば、数学と法律のロジックはまったくの別物です。文系の学部を見ると、文学は情緒の世界であり、経済学はロジックがあるもののその背景に情緒が存在するので、ロジックと情緒が半々くらい。法学は情緒で物事が左右されないように作られているという意味においては非常にロジカルな世界で、その立場から物事を見ている人が「法学は理系の人に向いている。」と思うのかもしれません。しかし、理系のロジックは甘いものではなく、たとえば半年かけてやってきた実験でも、たった一日だけ温度管理が甘く、計画していた温度と1℃違っていたとしても、その実験は無駄になってしまうのです。

一方、文系のロジックは現実に対して裁量が働きます。極端な例ですが、1977年にダッカ日航機ハイジャック事件が起こった際、当時の福田首相は「一人の生命は地球より重い。」と述べ、犯行グループである日本赤軍の要求を受け入れて囚人の解放に応じました。「超法規的措置」といって法律に書いていないことをやったわけですが、このように実際に起きていることを前提にして、法律のロジックは飛び越えられてしまうことがあります。法律は非常にロジカルではあるけれど、そのロジックは社会を背負って決まっているものなので、数学や物理の議論とは全く異なるのです。

公式をいろいろな場面に適用できれば暗記はいらない

たとえば、会社再建の場面においては、たくさんの利害関係者が入り乱れます。株主や債権者がいて、「私はこんな権利を持っている。」と主張する人が出てきたりもする。そうした場合、どうやって考えを整理しているのでしょうか。

佐藤さん:
会社が倒産し再建しようとするとき、たとえば、民事再生の場合は債権者の過半数、および債権額の2分の1以上の賛成がないと再生計画は認可されません。だから民事再生に取りかかる時点で債権額がどれくらいあり、誰を抑えれば金額面でクリアできるか、そして債権者の過半数の同意を得るには誰と誰の賛成が必要か、といったことを考えます。倒産していない一般の会社であっても反対派の株主から要求を突きつけられて、次の株主総会をどう乗り越えるかという場面が起こり得ます。そのとき、株式を新規に発行すると議決権をどのくらい増やすことができ、反対派に勝利できるかといった議論もしますが、この程度の話は小学校の算数レベルでも計算できる話です。他に仕事の中で数学が出てくるのは、利息計算や、多少難しい話として、オプション取引(通貨や債券、株式等について一定の期間内または一定の期日にあらかじめ定めた価格で買う権利あるいは売る権利を売買する取引)でのオプションの評価などがあります。

最近、主に銀行が販売した為替デリバティブ商品を購入した会社に大きな損害が生じているという話が、社会的な問題としてよく取り上げられています。「円安リスクをヘッジ(回避)しましょう。」という商品を銀行が販売したものの、その後大幅な円高に振れたため買った人がみんな大きな損失を負ってしまい、大きな問題になっているのですが、この問題や商品をよくわかっていない弁護士は、「理由はともかく大きな損失が出ているし、必要もない商品を無理矢理販売したり、説明が不十分だった。これはおかしい。」という主張をするのではないかと思います。一方、よくわかっている弁護士は「商品の性質をよく理解している人たちに対してはともかく、円高でより大きなリスクが顕在化するそもそも複雑な商品を、その性質をよく理解していない人たちに販売するのはおかしい。」という主張をすると思われます。つまり、商品の内容を分析した上で、「この商品はこういう人たちに売ってはいけない類の商品である。」と主張しているのではないかと思われます。その前提として為替デリバティブがどんな性質の商品かを分析するには、多少の数学的な議論が必要です。

とはいえ、現在でも弁護士の仕事のほとんどは文系の仕事です。法律の条文や判例の解釈論といった法律論より、離婚や交通事故など、法律的な議論はほとんどなく、事実認定のほうが重要となるよう仕事をしているのが伝統的な日本の弁護士の姿ではないかと思います。また、「弁護士は数字(その問題の経済的、計数的な意味合い)がわからない。」ということが何となく許されているところがあり、いまだに弁護士の多くは、企業の仕事をしていても税金のことを意識しないで業務をしているところがあります。紛争の解決に関して金銭の支払いをする場合、その名目によっては損金にならないことがあるのですが、「それは私のマターではない。」と思っている弁護士が比較的多い印象を受けます。

申し上げたように、法律は非常にロジカルに作られていますが、弁護士になって実際に社会へ出ると、あまりロジカルな世界ではない領域の仕事が圧倒的に多いのが実際のところです。ただし、社会の変容に伴って、弁護士も、最近はロジックをきちっと立てて議論しなければいけなくなってきている傾向があり、以前よりは数学の世界に近づいてきているというのが、現在の弁護士の姿かもしれません。

なぜ、数学よりに近づいているのですか。

佐藤さん:
弁護士の仕事と言っても、ほとんどの仕事でお金が絡む以上、数字の議論はある程度避けられないところがあります。それに、私たちのような事務所ですと、依頼者のかなりの部分は企業であり、企業は、ある意味、利益も、損も、資産も、負債も、みな「数字でできている」ので、そこから仕事を依頼される者としては、数字の議論をしないわけにはいきません。それは「数学」というより「数字」レベルの話ですが。あとは物事の考え方ですね。たとえば物事を考えるとき、いろいろな問題が一度に出てくるとわけがわからなくなってしまいがちですが、私の場合、議論を大項目、中項目、小項目に分類したり、議論の中にある様々なパラメーターの一部をあえて固定して、問題を整理したりします。また、私が、クライアントとの会議で、「この問題についての方向性は3つあります(3つしかありません。)。それぞれのメリット・デメリットはこれです。これを勘案すると、御社が採るべき選択肢はこれですね。」という議論の進め方をするという話を、クライアントさんからはよく言われます。私は、「他の弁護士の意見を聞いてもモヤモヤしたままだったが、佐藤と話したら論点が明確になり、自分達が何を判断すればよいのかがわかった。」という言葉をいただくことが少なからずあるような気がしますが、それは、ひょっとすると私の出身が理系であることが関係しているのかもしれません。

物理を勉強しているときに非常に面白いと思ったのは、「力学なんて運動方程式と矢印さえ書ければできるんだ。」と言われたことでした。「物理ができない人は一生懸命いろんな現象を覚えようとするけれど、そんな努力は必要ない。」と。私は浪人時代、駿台予備校で元東大全共闘議長の山本義隆先生の講座も受講していましたが、山本先生はほとんどの問題について、微分積分を使って共通の土俵を作った上で議論をしていました。今、振り返って考えると、それは、公式をいろんな場面に適用する力さえあれば別に暗記などほとんどいらない、ということだと思います。弁護士の仕事は典型的な文系の仕事であり、文系は記憶や暗記の占める割合が大きいですが、これだけ社会が複雑化すると、それぞれの事象を暗記しておくことなど不可能です。すると、限られた公式をフルに活用して問題を解くような思考力が重要になってきているのではないかと思います。

「マクロとミクロを自由に往復できる力」を数学で鍛える

世の中の動きが激しくなると、そうした思考力が大切になりますね。

佐藤さん:
経営者の方と「優秀な経営者とは?」「経営者として欲しい人材は?」という議論をするとき、賛同していただくことが多いのが、「マクロとミクロを自由に往復できる人」という人材像です。一般に、評論家はマクロの事象しかわかりません。経済評論家は、最近の日本の労働問題について指摘できるかもしれませんが、会社から本当に不当解雇されそうな人の相談を受けても、現実には何もできないでしょう。一方でミクロしかできない人もたくさんいます。自分が担当している一つの製品の売れ行きについては議論できても、その製品がなぜ売れないかを突き詰め「一製品の問題ではなく市場全体が変化した結果であり、他の製品にも波及していく可能性があるので一度、会社のラインナップ全体を見直すべきだ」といった見地に立った議論をできる人は非常に少ないような気がします。経営者が求めているのはそういう人材のようですが、育成は非常に難しいようですね。

マクロとミクロを通してある種の法則性が見えるようになるには、暗記の世界ではたどりつけません。

佐藤さん:
そうだと思います。やはりマクロとミクロを自由に行き来できる思考力を強化していかないといけません。日本にとって若干不幸だったのは、戦後教育が画一的で質の高い労働力を育成する方向に寄りすぎてしまったことです。だから、私は、ミクロの処理能力は高いけれど、マクロについてはそれほど強くない人が多いのではないか、「マクロとミクロを行き来できる人」の数は外国と比べ相対的に少ないのではないかと疑っています。企業の経営層が、社内の30代、40代の層に、次代の経営を任せられるような人材が少ないという不安を感じているという話をよく聞きます。与えられた仕事はきちんとこなすけれど、大きな視点で議論をできない、あるいはマクロとミクロを自由に往復して思考するイメージが持てない人が多い、ということではないかと思います。

マクロとミクロを往復できるようにするには、やはり中学、高校で数学を勉強しておいたほうがよいでしょうか。正解が得られるかどうかはともかく、「こう考えたらどうだろう。いや、ああ考えてみたらどうか。」と試行錯誤し悩み続けることによって、はじめてそうした頭脳は鍛えられるような気がします。

佐藤さん:
学校の勉強について言うと、社会科は知識を暗記しているかどうかが全てですよね。それが化学や生物になると暗記だけではない部分がある程度出てきます。「この化学反応を起こすとこういう物質ができるが、それはどういう理屈によるものか。」といった設問のように、知らなくてもなんとかなる部分が多少はあります。反対に、数学や物理は、公式をいくつか知っていれば何とかなってしまうところがあります。ただし、「何とかなる」ためには、公式を武器に問題を解く思考力が必須です。社会科のように知っているか否かが勝負の分かれ目になる勉強について日本人は一生懸命やってきましたが、たとえば、公式を二つ三つ教え、その上で問題を渡して「一晩かけて答えを出しなさい」といったような、問題を突き詰めて考えさせるような教育をしないと、おそらく、今後、必要とされるような能力は活性化されない気がします。

私が当事務所の事務所の弁護士にうるさく言っているのも「もっと考えろ。」、「もっと本質から考えろ。」、「背景まで遡って考えろ。」ということです。法律の知識はさておき、なぜこの人が相手ともめているのか、この人はどういう人生を送ってきたのか、そもそもなぜこういった種類の問題が起きるのかといったところまでさかのぼって考えてみろ、と。弁護士は書類を作ったり、調べたりする仕事が本質ではなく、アドバイスをするのが本質ですから、そこまで考えてやらないとアドバイスが表面的になってしまいます。今日では、一般的な情報はネットで簡単に収集できます。クライアントも当然ネットで調べていて、それでも解決しないから弁護士事務所に来るわけです。その人たちに単なる知識を伝えても仕方がありません。「あなたの悩んでいる背景にはこういう事象があって、だからあなたはこの問題に直面しているのです。」とミクロの現象からマクロの視点を通ってアドバイスできるようにしなければなりません。そのためには、今起きている現象がいったいどういうことなのか、とことん突き詰めて考える力が必要になるのです。

今日はありがとうございました。

プロフィール

佐藤 明夫(さとう あきお)

佐藤総合法律事務所 代表

東京大学医学部卒業後、司法試験合格。三井安田法律事務所を経て2003年佐藤総合法律事務所設立。ジャスダック証券取引所コンプライアンス委員会委員長、株式会社アミューズ社外監査役等を歴任。

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