経営者・有識者インタビュー

第26回

経済学の発展に貢献するゲーム理論

渡辺 隆裕 氏
(首都大学東京 社会科学研究科経営学専攻 教授)

社会でどのように役に立っているかわかりにくいと言われる「数学」。このコーナーではさまざまな分野の第一線でご活躍中の方々に、社会と数学のかかわりについて語っていただきます。

第26回はゲーム理論の研究者で現在、首都大学東京教授を務める渡辺隆裕さんにお話をうかがいました。

ゲーム理論をベースにした研究が続々ノーベル賞を受賞

ゲーム理論とはいったいどんな理論でしょうか。

渡辺さん:
たとえば相手の要求に対しイエスと答えるかどうか、企業間の価格競争でどのくらいの値段をつけるか、軍拡競争をしている二つの国が自国の防衛費をどれだけ増やすかといった二人以上の個人、あるいは二つ以上の企業や国家の意思決定についてゲームのように考えて解いていく学問がゲーム理論です。企業間競争や国家間の外交交渉でもチェスや将棋のように「相手がこうしたから自分はこうする」「自分がこうしたから相手はこうする」と、常に自分がどういう行動をとるかは相手の行動が関係しています。ゲーム理論ではそれらを全部ゲームとして考え、分析していくのです。

なぜゲーム理論が注目されるようになったのですか。

渡辺さん:
一つの理論ができてから応用に至るまでは、非常に長い時間がかかります。ゲーム理論は1944年に数学者のフォン・ノイマンと経済学者モルゲンシュテルンが『ゲームの理論と経済行動』というタイトルの本を出版したのが始まりです。当初、数学者以外はさっぱり理解できなくて「こんなものはお遊びだ」と言われた時代が20年くらいありました。やがて有用性に気付いた経済学者がゲーム理論を経済学の言葉に置き換えるのに20年くらいかかり、さらに一般のビジネスマンや学生が理解できるように語られるまで20年くらいかかり、やっといま花開いているという状況だと思います。  30年くらい前にゲーム理論の話をすると「人はそんな風には動かない」「人間はもっと感情的なものだ」とよく言われました。単純化したモデルで人や社会を見ることに対し、日本では嫌悪感を抱く人が多かったんですね。しかし最近はかなり受け入れられるようになってきました。その変化の背景には、以前よりも西欧的な合理性や論理性が求められるようになったことがあると思います。

意思決定に関してはよく確率が登場しますが、ゲーム理論と確率の関係は。

渡辺さん:
ゲーム理論では確率の考え方が大きな一つの柱になっています。確率の分野にはさまざまな確率論があって、何度も実験を行うなかである事象が起こる頻度が確率になるという頻度説がありますが、社会科学では「明日、この株は上がるか上がらないか」といった、実験や再現できないことに確率を与えなければなりません。その確率がどう決まるかの理論はゲーム理論をつくったフォン・ノイマンの理論をもとにしており、実は出所が近いんです。

付け加えると、この20年くらいでノーベル経済学賞を受賞した研究の多くはゲーム理論がベースになっています。経済学のなかでゲーム理論が基礎をなすようになったのです。ビジネスを学ぶには経済学を勉強する必要があり、経済学のなかにはゲーム理論がいっぱい出てくるので、ビジネスパーソンの間に「ゲーム理論を勉強しなければ」という機運ができたのかなと思います。

ゲーム理論はどう使われているか

実際のビジネスにおいて、ゲーム理論はどんな場面で役立っていますか。

渡辺さん:
それは難しい質問です。私がビジネスパーソン向けに研修講師をすると、みんなアンケートに「聞いてよかった」に丸をつけてくれるのですが、「現実に役立つかどうかは疑問」ともよく書かれます(笑)。ゲーム理論が直接何かの役に立ったと思えるには、もう少し時間がかかると思います。  具体的に役立っている事例としてはネットオークションや、検索連動型広告で広告主がお金を払う入札方法の開発でゲーム理論が活用されています。ただし検索会社の人が「ゲーム理論をベースにしました」と自ら言っているわけではなく、彼らがたくさん学んできたことを組み合わせてつくったアイデアのなかにゲーム理論が入り込んでいる、という感じです。

数学はダイレクトに何かの役に立っているというより、ある考え方の元をたどっていくと数学にたどり着くという話と似ていますね。

渡辺さん:
そうですね。たとえば成果主義が経営学のなかでどう語られているかを調べていくと、多くの研究のなかにゲーム理論のモデルが使われています。経営学や経済学はいろいろな実証データや理論の総体から結論が導き出されていますが、そのなかにゲーム理論が入っているわけです。

企業がマーケットを広げるために投資するか、それともコストダウンのために投資するかといった問題などは、ゲーム理論をベースにした経済理論のもっとも活躍できるところです。また、先ほど申し上げたオークションや投票のシステムにはゲーム理論が非常に使われやすい。つまり何人かの人間が集まって行われ、かつルールがきちんと決まっているものにゲーム理論は使いやすいので、今後も活用されていくでしょう。

「不倫」を起こさないマッチングをどう実現するか

いま、ゲーム理論でもっとも注目を集めている分野は何ですか。

渡辺さん:
最近はマッチング理論が盛んに研究されています。これはいろいろな希望を持つ研修医をどう病院に割り当てるかという問題や、学校の校区を自由にしたときにさまざまな要望を持つ学生と学校をどうマッチングするかといった問題を研究するものです。もともとは50年くらい前からある分野で、古くは「安定結婚問題」と呼ばれていましたです。
たとえば5人の男性と5人の女性がいて、それぞれ異性に好きな順番があるとします。このとき5組のカップルをつくろうとすると、みんな希望通りにいくとは限りません。ではどんな組み合わせ方がよいかというと、不倫が起こらないような組み合わせです。つまり「カップルにはならなかったが、お互いに今のパートナーより好きな相手がいる」組み合わせがあると不倫が起こる可能性があるのでそれを避け、安定した組み合わせをつくるプログラムを考えなければなりません。

先ほど申し上げた学校と生徒の割り当てや大学の研究室と学生のマッチングも、同じ安定結婚問題としてとらえることができます。マッチングのプログラムがよくないと、ウソの希望を出したほうが自分にとってよい結果を得られることがあります。第一志望に希望者が集中するときはそれを避け、第二志望を第一志望と偽って書いたほうがよいと考える場面はよくあるでしょう。とても優秀な学生が「渡辺ゼミはとても人気があるから第一志望で出しませんでした」というような(笑)。そういう不都合をなくす組み合わせをつくるプログラムを考えるのが安定結婚問題です。

どうすれば安定結婚が実現できるのでしょうか。

渡辺さん:
男女が三人ずついて、一郎はAさん、Bさん、Cさんの順番に好きとしましょう。つまり一郎が好きな相手の順番はA>B>Cです。同様に二郎はB>A>C、三郎もB>A>Cという順番とします。一方、女性のAさんが好きな順番は二郎>一郎>三郎、Bさんは一郎>三郎>二郎、Cさんは二郎>一郎>三郎だとします。

男性の第一志望を優先して割り当て、希望が重なったら女性の志望順位にしたがって組み合わせを決めるようにしてみましょう。最初に志望順位を提出させてマッチングしていくこの方法はボストン方式といって、学校への生徒の割り当てなどで通常使われている方法です。すると一郎はAさんで確定しますが、二郎と三郎はBさんで希望が重なります。Bさんの好きな順番は三郎>二郎なので、三郎とBさんがカップルとなり、あぶれた二郎はCさんとカップルになります。

しかしこのとき、Aさんは割り当てられた一郎より二郎のほうが好きで、二郎もCさんよりAさんのほうが好きなので不倫が起こる可能性が生じてしまいます。さらにこのようなときは、前述したように偽って志望順位を出したほうがよい状況が生まれる場合もあります。

そこで考えられたのが、みんなが志望順位を正直に申告することでハッピーになれる「受入保留方式」です。この方式は一度マッチングしても確定ではなく仮決定とし、次の段階で優先順位の高い人がくればそちらを優先してマッチングするというものです。

先ほどの例を当てはめてみると、まず第一志望の段階で一郎とAさん、三郎とBさんの組み合わせが仮決定となり二郎があぶれます。そこで二郎の第二志望をみると、相手のAさんは一郎より二郎が好きなので仮決定を取り消し、二郎とAさんがカップルになります。次にあぶれた一郎の第二志望をみると、相手のBさんは三郎より一郎が好きなので仮決定を取り消し、一郎とBさんがカップルになります。そしてあぶれた三郎の第二志望はAさんですが、Aさんは三郎より二郎が好きなのでこれは却下され、第三志望のCさんとカップルになり、三組の安定結婚が成立するようになります。

ゲーム理論をわかりやすく教えることは正しいか?

現在、大学の経済学部では「数学のできない学生をどうするか」が問題になっています。この問題にはどう対応すればよいとお考えでしょうか。

渡辺さん:
この首都大学東京の経営学系経済学コースは数学入試の学生もとることで特色を出していますが、やはり数学ができない学生も少なくありません。とはいえ大学に入ってくるような人であれば、何らかの概念を定義して論理操作するようなことはできる人が多いです。そこで、文系に必要とされる数学は難しい数式を使わなくてもある程度は論理操作の図や手順で書き下せるので、大学の授業ではそうやってゲーム理論を教えています。  ただし、この教え方は賛否が分かれます。数学を使えば方程式を解く問題に帰着でき、講師は簡単に教えられるし、学生も数学の能力を獲得できます。だから学生の目線まで下りてわかりやすくブレイクダウンして教えるより、数学を使ってゲーム理論を教えるほうが学生にとってはよい教育であるという考え方もあり、迷うところです。でもゲーム理論にたどり着く前に数学で挫折されてしまうより、ちゃんと学生にゲーム理論の本質を理解してもらいたいという考えで私はこのような教え方をしています。  私のような教え方でゲーム理論を習った学生がさらに大学院で勉強したいと思ったら、また一から勉強し直さなければなりません。大学院の水準では数式を使ってゲーム理論を表現できなければいけないからです。しかし、学生全員が大学院へ進学するわけではありません。数学を使って100人中90人が挫折してしまうなら、無理に数学を教えるより論理操作の図や手順を用いて100人中90人がゲーム理論の本質を理解できるようにしたい。大学院に進学する気のある人は、最初から数学を使うゼミに入りますし。

確かに、学生全員がゲーム理論を数式で表現できる水準まで行く必要はありません。

渡辺さん:
ゲーム理論に限らず、ミクロ経済学などでも数式なしで本質を教える取り組みがなされるようになってきました。それで価格弾力性が求められるくらいにはみんななりますが、それ以上のレベルに行こうとすると改めて一から勉強しなければなりません。私はそういう教え方でよいと思っていますが、かなり悩ましい問題です。

本日はありがとうございました。

プロフィール

渡辺 隆裕(わたなべ たかひろ)

1964年生まれ。東京工業大学理工学研究科経営工学専攻修士課程修了、同専攻にて博士学位取得。工学博士。東京工業大学助手、岩手県立大学助教授、東京都立大学助教授などを経て現職。専門分野はゲーム理論。特にオークションやリアルオプションとの融合などゲーム理論の工学的応用の研究と,離散ナッシュ均衡の存在に関する数学の研究を専門にしている。社会人や学生にわかりやすくゲーム理論を伝えるための啓蒙活動や教育も重視し、社会人向け講座やビジネススクールでの講義も多数行う。著書に『ゼミナールゲーム理論入門』(日本経済新聞社)、『図解雑学ゲーム理論』(ナツメ社)がある。

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